一言でいうと
地盤に薬液などを注入して固める工事で、注入するたびに地面がどれだけ持ち上がるかをAIで予測する。工事の前半は、過去の別の現場で学んだAIを使い、前半の実績で学び直したAIを後半に使う。五洋建設のこんな仕組みが、2026年7月に特許になりました(特許第7892917号)。
審査では「現場のデータでAIを学び直すのは、よく知られた技術」と指摘されています。それでも特許になった決め手は何だったのか。建設×AIの特許を考える方に、ぜひ知っていただきたい分かれ目です。
どんな特許なのか
困りごと:注入で地面が持ち上がる
地盤に注入材を注入して地盤を改良する工事(地盤注入工法)では、注入によって地表面が持ち上がる(変位する)ことがあります。過去の施工のデータで学んだAIで変位を予測する手法は以前からありましたが、現場ごとの条件が考慮されないため、予測の精度に改善の余地がありました(段落0002・0004)。
仕組み:前半で学び、後半で使う
現場の装置は、図1のように、地盤に注入する「注入システム」、地表面の動きを測る「計測システム」、AIを動かす「管理システム」からなります。地盤には、注入のための孔が格子状に並んでいます。

この装置で、次の順に進めます。
- 過去の別の現場のデータで学んだAI(基礎モデル)を用意する
- 工事の前半:注入の前に、予定している注入量・圧力などを基礎モデルに入れ、地表面の変位を予測する。予測が許容値に収まる注入の順番・量で施工する
- 前半の実績(実際の注入量・圧力・計測した変位)をためる
- 過去のデータと前半の実績を合わせて学習し、この現場専用のAI(特化モデル)を作る
- 工事の後半:特化モデルで予測しながら施工する

なぜ後半に切り替えるのか。工程が終盤に近づくほど、持ち上がりの累積が大きくなり、許容値までの余裕が少なくなります。また、先に注入した材料で地盤が固まり、圧力の逃げ道も限られてきます。そのため後半は、前半よりも慎重に施工条件を決める必要がある、と明細書は説明しています(段落0083)。前半・後半の区切りは、例えば全注入点の50%が終わるまで、とされています(段落0071)。
特許になった内容(請求項1)
請求項1は長いので、要点を抜き出します。
(…)前記対象領域ではない領域で行われた地盤注入工法による施工において用いられた注入パラメータ値を説明変数に含み当該施工の結果として生じた地表面変位量を目的変数に含む教師データを用いて機械学習された第1学習済みモデルを取得するステップと、
前記対象領域における地盤注入工法による施工の前半である前半工程に含まれる多数の第1の注入点の各々に関し、(…)前記第1学習済みモデルが出力する目的変数に含まれる地表面変位量を取得するステップと、
前記前半工程における前記多数の第1の注入点への注入材の注入の後に、前記第1学習済みモデルの生成に用いられた教師データと、前記多数の第1の注入点の各々に関する(…)教師データとを用いて、第2学習済みモデルを生成するステップと、
前記対象領域における地盤注入工法による施工の後半である後半工程に含まれる多数の第2の注入点の各々に関し、(…)前記第2学習済みモデルが出力する目的変数に含まれる地表面変位量を取得するステップと
を備える方法。
緑=AI(学習済みモデル) 黄=発明の決め手 (…)は省略
発明の効果:AIを使って、何がよくなったのか
発明や特許というと、新しい構造や構成ばかりに目が向きがちです。しかし、それと同じくらい重要なのが発明の効果です。審査では、従来の技術と比べた有利な効果、とりわけ当業者(その分野の専門家)の予測を超える顕著な効果は、「容易に思いつけたものではない(進歩性がある)」と認めてもらうための大きな材料になります。逆に、構成が少し違っても効果が見当たらなければ、特許にするのは難しくなります。発明の効果は、それだけ重要です。
この特許の明細書と意見書に示された発明の効果は、次の3つです。
| 発明の効果 | 中身 | どこに書かれているか |
|---|---|---|
| 予測の精度 | 現場の実績を学んだ特化モデルで、従来より高い精度で地表面の変位を推定できる | 明細書(段落0007・0076) |
| 工事の安全 | 余裕の少ない後半ほど、精度を上げたモデルで計画するので、想定外の持ち上がりや緊急停止などのトラブルを減らせる | 明細書(段落0084) |
| 負担と手間 | モデルを逐次更新し続けるのではなく、前半から後半への切り替えに絞るので、処理の負担や手間を増やさずに安全を確保できる(効率性と安全性の両立) | 意見書 |
予備の請求項3では、変位を「累積値」で学ばせると推定の精度が大きく上がるという、発明者が新たに見いだした知見も、発明の効果として主張されています。一方で、明細書には、特化モデルで精度がどれだけ上がったかの数値(基礎モデルとの比較)は書かれていません。発明の効果を数値で示せていれば、さらに強い主張になったと考えられます。
この特許で、AIは何をしていて、何をしていないのか
| AIの役割 | していること | 根拠 |
|---|---|---|
| 予測役(基礎モデル) | 前半の注入の前に、予定の注入条件から地表面の変位を予測 | 請求項1 |
| 学び直し | 前半の実績を加えて、現場専用のモデルを作る | 請求項1(学び直し)、請求項3(基礎モデルの調整) |
| 予測役(特化モデル) | 後半の注入の前に、変位を予測 | 請求項1 |
AIがしていないこともあります。前半から後半への切り替えの指示は施工者が行い(段落0070)、計測した変位が管理基準値を超えたときの注入の緊急停止は、通常の制御で行います(段落0067)。
前回紹介したKDDIの特許では、権利の中心はAIの外側(特典の決め方)にありました。この特許は逆で、AIをいつ・何で学び直すかという、AIの使い方そのものが権利の中心です。
明細書では、そのAIをどう説明しているのか
| 項目 | 明細書の記載 |
|---|---|
| それは何か | 学習済みモデル。手法は「例えば」勾配ブースティング決定木(XGBoost等)。ランダムフォレスト、ニューラルネットワーク等でもよい(段落0025) |
| どこにあるか | サーバーでモデルを作り、現場の端末で予測。端末1台にまとめてもよい(段落0014・0015・0089) |
| 何を渡すか | 地盤を立方体のマス目(ボクセル)に分け、マス目ごとの注入量・注入圧力・N値・細粒分含有率、土被り圧、ウェルポイントまでの距離、前の注入からの経過時間など(段落0032・0034) |
| 何が返るか | 地表面の変位量(今回の注入による変位と、施工開始からの累積)(段落0045) |
| 中身を書いているか | 書いていない。その代わり、入力の各項目が、なぜ変位に効くのかを地盤工学の言葉で説明している(例:下に硬い難透水層があると圧力が上に集中して変位が大きくなる、ウェルポイントの近くは圧力が逃げやすい。段落0035〜0044) |
審査では、記載要件(明確性など)の指摘はありませんでした(拒絶理由は進歩性のみ)。
審査の流れ
| 時期 | できごと |
|---|---|
| 2026年2月 | 出願(早期審査) |
| 2026年4月 | 拒絶理由通知(進歩性)。過去の現場のデータで学んだAIで変位を予測する文献に加え、トンネル工事の湧水量・切羽の推定などの文献を挙げて、「本施工途中までに取得した測定データを用いて、学習済みモデルを再学習させることはよく知られた技術的事項」とされた |
| 2026年5月 | 審査官との面談の記録あり。請求項を直して反論 |
| 2026年7月 | 特許になる(出願から約4か月半) |
意見書の説明によると、直し方は次のとおりです。
- 工事を「前半工程」と「後半工程」に分け、前半は基礎モデルを使い続けて現場の実績をため、その後に特化モデルを作って後半に使う、と書き直した
- 工事そのものを「予測値が許容値以下となる順序で注入していく」ものと限定した
- 予備として、基礎モデルを「調整」して特化モデルを作り、変位を「累積値」で扱う請求項を新たに加えた
意見書では、施工が進むほど累積の変位が増えて余裕がなくなるという地盤注入工法の性質に合わせて、「時間的フェーズの変化に伴う汎用モデルから特化モデルへの切り替え」を採用した点を主張しています。1つのモデルを逐次更新する場合のような処理の負担や手間を増やさずに、安全性を確保できる、という効果も述べています。
AIの特許を考えている建設会社の方へ
- 「現場のデータでAIを学び直す」だけでは、特許になりにくい。審査官は、トンネル工事などの例を挙げて、よく知られた技術としました。
- 決め手は、工事の現場の知見でした。「後半ほど余裕がなくなる」という地盤注入ならではの性質に合わせて、AIを切り替える時期を決めた点が、特許につながったと考えられます。AIの技術そのものより、現場で培った施工の知見が、AIの特許の材料になるといえます。
- 「なぜその入力が効くのか」を明細書に書いておく。この明細書は、AIの中身は書かずに、入力の各項目が変位に効く理由を地盤工学の言葉で説明しています。後半ほど慎重さが要る理由も、出願時の明細書に書かれていました(段落0083)。意見書の主張は、この記載に沿ったものです。
まとめ
AIを使った建設技術の特許では、「AIで予測する」「現場のデータで学び直す」は、もう出発点にすぎません。特許の分かれ目は、現場の知見をAIの使い方に落とし込めているかです。日々の施工で「後半は慎重に」「この条件だと持ち上がりやすい」と感じていることこそ、請求項と明細書に書く価値があります。
建設技術とAIを組み合わせた発明の特許についてのご相談は、お問い合わせフォームよりお寄せください。
Author Profile
- 国際弁理士事務所 代表弁理士
-
■ 1997年より国際弁理士事務所にて、主に、米国・欧州・日本における知的財産権業務に従事。
■ 国内および外国のオフィシャル・アクションへの対応、外国法律事務所へのインストラクションなどを担当。また、米国やドイツのクライアントからの日本向け特許出願の権利化業務を担当。特許の権利化業務のほか、特許権侵害訴訟や特許無効審判、特許異議申立、口頭審理対応、侵害鑑定の業務も担当。訴訟業務では、特許権侵害訴訟のほか、特許無効審判の審決取り消し訴訟を経験。
【所属団体】 日本弁理士会,日弁連 法務研究財団
【専門分野】 特許、商標、意匠、不正競争防止法、侵害訴訟など
【技術分野】 機械、制御、IoT関連、メカトロニクス、金属材料、金属加工、建築土木技術、コンピュータ、ソフトウェア、プラント、歯科医療機器、インプラント、プロダクトデザイン、ビジネスモデル特許など。
【その他の活動】
■ 2013.09.17 セミナー講師: 東京メトロポリタン・ビジネス倶楽部 「職務発明の取り扱い」
■ 2014.04.19 テレビ出演: テレビ朝日 「みんなの疑問 ニュースなぜ太郎」
【富田弁理士への問い合わせ先】
〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-16-9 双葉ビル5F
富田国際特許事務所
TEL:03-6205-4272 FAX: 03-3508-2095
※ 富田弁理士へのEMAILはコチラのメールフォームよりお願いいたします。